ガラガラと音を立てて壊れていく石像と目が合う。何千年も前から物言わぬ石像の悲鳴が聞こえるような気がした。彼らが私たちと変わらない生きた人間だったこと、司くんだって知っているはずだった。
「どうして」
たった一人の為だけに全てを捧げて必死に生きてきた君を、私はずっとずっと見てきたのに。
目が覚めて最初に言われたのは、昔の話は絶対にしないこと。これが、この世界で私が生きるために突き付けられた絶対条件。
司くんの綺麗な顔に走ったヒビを見て、寸でのところで保たれていた彼の世界の均衡がとうとう崩れてしまったんじゃないかと思った。
「世界が変わっても、俺は変わらない。名前は……名前もただ、変わらずここに居てくれさえすれば良いんだ」
目の前でシャッターを閉められてしまったような、はたまたシャッターが閉まる直前に引きずり込まれてしまったような。
無条件に存在を許されている。しかも、文明も何もかも潰えたこの世界で恐らく一番強いであろう人間に。喜ばしいを通り越して身に余るくらいだ。
次々と復活させられたタフな人々とは明らかに違うし一芸に秀でているわけでもない。あの獅子王司が選んだのだから、で通ってるのが逆に申し訳なく肩身が狭い。そう、私が一番納得できないままだった。
「どうして」
全身が震えてるせいか、声までもが情けなく震えていた。
おぞましいほど美しい夕焼けを背に振り向いた司くんは、私がこの世界で初めて目を開いた瞬間と同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。
「必要なんだ」
必要。壊すことが、殺すことが?
私はバカだ。納得できないなんて思いながら目の前の現実を見ようともしなかった。いつも司くんの後ろを歩く人達は、何度コレを目にした?
「必要なわけない、こんな……だって司くんはずっと……」
司くんはずっと――それ以上は言えなかった。
昔の話はしない。最初にそう言われた。
口を手で押さえたまま、己の無力さと唇をひたすらに噛みしめていた。それでも涙だけはどうしても両の目からこぼれ落ちていく。
司くんは私を選んでくれたのに、どうして私は司くんをちゃんと見てあげられなかったんだろう。
司くんは、たった一人の妹を救う為に自分を殺して生きてきた。それが今では他人の命まで奪っている。そんなのって、ない。あんまりだ。
たとえ司くんの掲げる正義がそれを是としても、司くん自身が平気なままいられるはずない。遅かれ早かれ、いつか必ず何かが崩れる。
「これはチャンスだ。何もないゼロからの世界でなら、権力に溺れて他を虐げるような人間が存在しない理想郷を創れる……でも、」
頼もしくて、でもたまに擦ってあげたくなるあの背中がどうにも恋しかった。立ち塞がる壁の如く、すぐ目の前まで近付いて来た彼に一体私の何が届くのか、もう分からなくなっていた。
「でも、君だけは知らないままで居てくれれば良かったのに」
降り始めの雨のようにポツリと響いた言葉。聞き返す間もなく司くんの大きな掌が、俯いたままの私の髪を不器用に撫ぜた。
「ごめん。ごめんね、司くん」
「うん……良いよ、分かってる。戻ったら普段通りでいられるね」
ただここに居てくれさえすれば良い。司くんのその言葉が私の鎖のように巻き付いて、身を捩るほど食い込んでいく。
「名前だけは、俺のよすがでいて」
今まで司くんと正面から向き合う勇気を持てなかった私に、彼を止めることはもうできない。だけど。
「だいじょうぶ。私、もう泣かないから」
司くんがどうやって生きてきたか、私は、私だけはずっと覚えてる。君が振るった拳が絶えず血を流しているのなら、その雫を全て飲み干せるのはこの世界で私だけだ。
2021.2.21 落日
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